足利事件の判決について思うところ

 判決が出た。大変な事だ。無実の人を犯罪者に仕立て上げた訳だ。
時間というものは、返ってこない。

 当時の捜査からすれば、DNA鑑定という先進的な技法で、犯人を検挙した訳だ。
その技法が、間違っていた、もしくは、精度にかけた方法だった。
当時の警察担当者の方からすると、
「お前がやったんだろ。証拠は揃ってるんだ。」
と言うのが仕事だろう。 

 誰かを養護するわけではないが、その言動は、当時からすれば正しいものなのだろう。
では、何が間違いの元だったのか? 科学技術や理論に頼りすぎた操作方法にあったのだろう。

 人文科学の分野は、それを補えると思う。もちろん人文科学という分野事態が、曖昧な分野として流布されてしまっているが、それが、ただ証明できていないだけのモノで、現実社会に通用する分野であることを証明しなけばならない点で、事は単純ではない。

 この判決は、未来に判例として残る訳だ。しっかりとした。賠償額とか誰がどう責任を取るのか。明示しなければ、未来にも過去にも示しが付かない。

最後に、他にも同じように仕立て上げられた、その人がもうこの世にいない。という事態がない事を願う。